瓊浦高校のバス横転と回想

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この瓊浦高校(けいほこうこう)は地元の長崎大学(教育学部)を卒業して

二年ほど美術教師としてお世話になった私立高校で、

あの当時(40年前!)からハンドボール部は強かった。

この事故で重傷者がいるそうで心配ですね。

早く元気になってもらいたいです。

考えたら、当時の教え子たちはもう60近いおじさんになってるのね~(汗)


瓊浦高校を退職した後、妻と娘と息子を連れて(この時、すでに2人の子持ち!)

横浜に引っ越した染川一家。

横浜には妻のおば夫婦が住んでいて、同じ緑区の十日市場の長屋に定住。

無職なのでバイト探しをして、隣町の中山(横浜線沿線)で喫茶店の厨房に職発見。

面接で店長が『前職は先生ですか!?』と驚く。

私『はい』 

『調理の経験はありますか?』 

私『ありません。』

最後に店長が『わかりました、明日から来て下さい』とあっさりOKが出た。

次の朝のオープン時に店長から色々指導を受け、修行に取り組んだ。

丁度4月の新学期の時期で、厨房での仕事は汗だくの灼熱地獄と化して行く。

特にモーニングセットの準備は半端なく、目が回る忙しさを体験する事になる。

仕事を始めて1週間後に店長から『明日から厨房は一人でやってね』と

免許皆伝を頂く...

この厨房の仕事は3か月ほど続けて、その間に横浜市の教育委員会に提出していた

臨時教員の採用が決まって厨房を後にした。

最後に店長が『また、いつでも来てね』と嬉しい言葉を貰った。

この3か月で10キロも減量して、スリムになった事!

この厨房の仕事のお陰で料理が出来るようになったのは最大の収穫だった。

横浜市教育委員会での面接時に、面接官が『子供さんが二人!』と驚いていた

のが印象的だった。

当時27歳だったので...

(続く)



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